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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)11312号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 大熊政一

同 鴨田哲郎

被告 国産自動車交通株式会社

右代表者代表取締役 荻野優

右訴訟代理人弁護士 山本忠美

同 中山慈夫

同 八代徹也

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告は原告に対し、金二万五九〇九円及び昭和五七年九月以降毎月二五日限り金三一万三二二四円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第二、三項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、一般乗用旅客自動車運送事業を目的とする株式会社であり、原告は、昭和五五年八月にタクシー運転手として被告に雇用され、本社営業所に勤務していたものである。

2  被告は、昭和五七年八月二二日をもって原告を解雇したと称して、原告が被告に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを争うものである。

3  被告の賃金の支給方式は、毎月一五日に締め切り二五日に支払うとするものであり、原告の労務提供の対価たる昭和五七年八月分の賃金は別紙賃金比較表記載の後記従前賃金に基づき算出した金二六万四八三四円であったところ、被告が原告に支払った賃金は金二三万八九二五円である。また、原告の昭和五六年九月から昭和五七年八月までの賃金総支給額は金三七五万八六九二円であったから、原告の一か月当たりの平均賃金は金三一万三二二四円である。

4  よって、原告は、被告に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認並びに被告に対し昭和五七年八月分の未払賃金として金二万五九〇九円及び昭和五七年九月以降毎月二五日限り賃金として金三一万三二二四円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実はいずれも認める。

2  同3の事実のうち、被告の賃金支給方式が毎月一五日に締め切り二五日に支払うとするものであること、原告主張の昭和五七年八月分の賃金額が前記従前賃金に基づき算出したものであること、被告が原告の労務の対価たる昭和五七年八月分の賃金及び賞与として、昭和五七年二月二一日に新協力会に提示した改定案(以下「改定案」という。)に基づき算出した金二三万八九二五円を支給したことは認め、その余は争う。なお、昭和五七年六月から同年八月までの賃金総額は金八六万二三七七円であり、一か月当たりの平均賃金は金二八万一二二〇円である。

三  抗弁

1  被告の就業規則一四条は、従業員が正常に又は安全に就業していくために守らなければならない事項として、「みだりに執務場所を離れたり、また所属上長の許可なしに就業時間中、外出、退社をしないこと」(四号)、「集会その他大衆的行動をなす時は事前に会社の承認を得てから行うこと」(七号)を規定し、また、原告を含め被告の従業員は、いずれも雇用されるに際して被告に対し誓約書を提出しているが、右誓約書一項において、会社の名誉を重んじ、会社の職務に関する法令及び会社の就業規則並びにその他の諸規則を堅く守り、上長の指示には勿論、自己の職責に対し責任と義務を果す旨の誓約をしている。

また、同規則五三条には、「この規則又は遵守すべき事項に違反したとき」(一号)、「故意又は重大な過失によって業務上不利益を生ぜしめたとき」(二号)、「正当な理由なくして上長に反抗したり、又その命令を守らなかったとき」(三号)、「業務の遂行を阻害する行為をし、又は業務上の秘密をもらし、あるいはもらそうとすることが明らかなとき」(四号)、「誓約事項に違反したとき」(一二号)には懲戒処分に処する旨の規定が存し、また五六条二号には、右一二号に該当するときには懲戒解雇する旨の規定が存する。

2(一)  原告は、昭和五七年一月三一日に開催された被告の従業員をもって組織される国産自動車交通株式会社新協力会(以下「新協力会」という。)の定期大会で新協力会副会長に選任され、同年八月二二日の本件解雇通告までその地位にあった。

(二) 被告と新協力会は、昭和五七年二月二一日から賃金体系の変更を伴う給与規定の改定につき交渉を重ねてきたが、新協力会は同年八月一八日に被告から提示された右規定の改定に関する別紙賃金比較表記載の最終案(以下「最終案」という。)につき検討するため、同月一九日に、同月二一日午前八時から被告本社構内において臨時大会を開催する旨決定し、その旨被告に対し通告してきた。しかし、被告は同月一九日及び二〇日の二度に亘り、同月二五日及び二六日に開く予定の明番講習会(乗務員の教育等を目的として被告が実施を義務づけられている講習会)を同月二一日及び二二日に繰り上げて開催し、その後に開かれる新協力会の明番会において被告の最終案につき会員に諮る機会を与えることとし、その旨を告げるとともに、臨時大会の開催を許可しないこと、もし大会の開催を強行した場合は被告において重大な決意をする旨警告したため、新協力会は二一日早朝の理事会において協議した結果、臨時大会の開催の可否を古山会長に一任することとしたところ、古山は臨時大会の中止を決定し、同日午前八時ころその旨を被告に申し入れた。

原告は、これより先の八月一〇日に被告との給与規定改定にかかる団体交渉を継続しようとする理事会多数派の方針に反対し、新協力会の副会長の辞任届を古山に提出し、同理事会において辞任を承認されていたが、同月一一日からその復権運動を始め、その後は未だ副会長の地位にあるとして大会の開催を要求し、臨時大会を自己の復権を図り主導権を握る絶好の機会と捉えていたため、右中止決定に反対し、右決定を覆し臨時大会を開催するため、直ちに被告会社構内入口附近において支援グループを集め、被告の弾圧に屈することなく臨時大会を成功させようと大声で煽動演説を始め、自己の辞任問題等について理事会非難と被告非難を行った。

古山は、同日午前八時二〇分ころ約一〇〇名の会員を集め、臨時大会を中止する旨告げ、被告の明番講習会に出席するように呼びかけたが、右原告の煽動によって煽られた会員たちが古山の周囲に集まり、右会員たちを代表して原告が大会の開催を要求し収拾困難な状態となったため、結局、古山は大会を開催することを宣言した。

臨時大会は、奥山幸三郎議長によって進められ、古山と原告との間において、原告の副会長辞任問題についての経過説明と非難の応酬がなされたが、結局、原告は辞任しておらず、古山以下全理事が一団となってやって行くべきであるとの意見が大勢を占め、以後は専ら原告の指導の下に議事が進められた。

そして、被告が賃金改定案を強行した場合の法廷闘争を行うための会員代表者としての古山の選出、新協力会案の絶対支持、原告による組合問題についての説明及び新協力会の労働組合への移行、新協力会を労働組合と名乗ること等が大半原告の提案により討議され、午前一一時三〇分ころ終了した。

(三) ところで、大会当日の会員の出番予定者は七二名であり、前もって有給休暇の届出のあった者三名、欠勤届のあった者三名の計六名を除く六六名が臨時大会に参加したが、そのうち大会終了後就労した者は四四名、大会開催中及び終了後に有給休暇の届出をして就労しなかった者は三名、大会終了後も就労せず欠勤した者は一九名であった。

そして、当日通常に営業を行った者一八名の総営業収入は金七六万二六五〇円で一名当たりの営業収入は金四万二三六九円となるところ、大会参加者四四名の総営業収入は金一一四万四八五〇円で、一名当たり金二万六〇一九円にしかならず、これを基準にした当日の営業収入の損害は、右四四名の減収分及び二二名の休車分を合計すると一六〇数万円にものぼる。

また、会社主催の明番講習会は、タクシー営業が認可事業であるところから、会社にその実施が義務づけられ、出席人員、実施日は勿論のこと、その講習内容まで記録することが義務づけられ、その違反については監督官庁の監査時に重大指摘事項とされ、車両使用停止等の行政処分対象の一つとなっているものであるが、原告らはこれらを知悉しながら本件臨時大会の開催に踏み切り、右明番講習会の開催を不可能にした。

(四) 右のように、原告は臨時大会の開催を積極的に主導し、大会開催中は名実共に副会長として積極的に発言し、殆どの議案を提案するなど会議を指導し、同日午前八時二五分ころから午前一一時三〇分ころまでの間、被告本社営業所構内広場において新協力会会員約一〇〇名をして同所を占拠せしめ、当日の就労予定者である同会員六〇数名をして無断で就労を放棄せしめるとともに当日予定されていた被告主催の明番講習会の開催を不能ならしめた。

3  原告の右2の行為は、就業規則五三条一号ないし四号、一二号に該当する。

そこで、被告は原告に対し、昭和五七年八月二二日に労働基準法二〇条に定める解雇予告手当を提供して解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という。)をした。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実中、原告が昭和五七年一月三一日の新協力会の定期大会において副会長に選任され、同年八月一〇日までは新協力会の副会長の職にあったことは認め、その余の事実は否認する。

(二) 同2(二)の事実中、被告と新協力会が昭和五七年二月二一日から賃金体系の変更を伴う給与規定の改定につき交渉を重ねてきたこと、新協力会が同年八月一九日に右規定の改定に関する被告の最終案につき検討するため同月二一日午前八時から被告本社構内において臨時大会を開催する旨決定し、その旨被告に対し通告してきたこと、しかし、被告は同月一九日及び二〇日の二度に亘り、同月二五日及び二六日に開く予定の明番講習会を同月二一日及び二二日に繰り上げて開催し、その後に開かれる新協力会の明番会において被告の最終案を会員に諮る機会を与えることとしその旨を告げるとともに、臨時大会の開催を許可せず、もし大会の開催を強行した場合は被告において重大な決意をする旨警告したこと、そのため新協力会は二一日早朝に理事会において協議し、結局古山は臨時大会の中止を決定し、同日午前八時ころその旨を被告に申入れたこと、原告はこれより先の八月一〇日に被告との給与規定改定にかかる団体交渉を継続しようとする理事会多数派の方針に反対したこと、同月二一日午前八時二〇分ころ古山が約一〇〇名の会員を集めて臨時大会を中止する旨を告げ、被告の明番講習会に出席するように呼びかけたが、結局古山は大会を開催することを宣言したこと、臨時大会が奥山議長によって進められ、古山以下全理事が一団となってやって行くべきであるとの意見が大勢を占めたこと、そして、被告が賃金改定案を強行した場合、法廷闘争を行うための会員代表者としての古山の選出、新協力会案の絶対支持及び新協力会を労働組合と名乗ることが討議されたこと、大会が午前一一時三〇分ころ終了したことはいずれも認め、その余の事実は否認する。

(三) 同2(三)の事実中、タクシー営業が認可事業であることは認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。

(四) 同2(四)は争う。

3  同3の事実中、被告が原告に対し昭和五七年八月二二日に労働基準法二〇条に定める解雇予告手当を提供して解雇する旨の意思表示をした事実は認めるが、その余の事実は否認する。

五  再抗弁

1  解雇に至る経緯

(一) 新協力会は、昭和三三年一二月ころ、被告の従業員をもって協力会の名称で結成され、その後昭和三四年二月に、新協力会と名称変更した。新協力会の規約においては、その目的を、①強固なる団結を基調とする団体交渉権の確保、②会員の社会的、経済的、政治的地位の向上、③会員の給与及び労働条件の維持・改善・向上と福利の増進等とし、その他、期間、役員、組合員の資格や権利義務、会計等につき規定している。そして、新協力会は、結成以降労働組合として主として賃金を含む労働条件の改善、向上のために活動を行ってきた。

なお、昭和五七年八月当時における新協力会の構成員は一七一名であり、同月二一日の臨時大会において国産自動車交通株式会社新協力会労働組合と名称を変更した。

(二) 被告は、昭和五七年二月二一日に新協力会との団体交渉の席上において、乗務員の賃金体系を従来の歩合給からなるB型賃金から固定給及び歩合給からなるA型賃金へ変更すると共に、各月の賃金を「給料」と「賞与」とに分割し、「賞与」については四か月毎の支給とすることを骨子とする改定案を提示した。

しかし、被告提案の右給与規定の改定案は、毎月五万円前後の賃金の引下げとなるものであったので、新協力会は右改定案の撤回を求め、被告従業員をもって組織される他の労働組合である国産自動車労働組合と共闘会議を結成し、同年三月一九日以降合同の団体交渉を重ねることとなった。

然るに、被告は同年五月二〇日の団体交渉において、前記改定案を六月一六日から実施する旨通告し、実質的に団体交渉を拒否するに至った。

(三) 右のように、被告は団体交渉において不誠実な対応に終始して、実質的な話合いを拒否し、改定案の一方的な強行を宣言するなどしてきたものであるが、昭和五七年八月一八日に最終案を提示した。その内容は、旧賃金に比べて数万円の賃下げとなり、同月一六日に新協力会側が提示した別紙賃金比較表記載の共闘案(以下「共闘案」という。)とは差が大きすぎ、到底同月二五日の給与支給日までに妥結の可能性がなかったにもかかわらず、被告は、八月分の給与から改定案に則って実施し、後日、新賃金体系につき合意が得られなくても法的に問題はないとの強硬な姿勢を崩さなかった。そこで、新協力会は最終案を受け入れるか拒否するかという状況に追い込まれ、大会において会員の意見を聴く必要が生じたため、新協力会執行部は被告に対し、同月一八日の団体交渉において臨時大会の開催を口頭で、翌一九日には書面で通告した。

なお、新協力会では、同月一八日に、直ちに臨時大会を開催する旨の会報及び賃金改定についての会社案、共闘案、現行賃金等の比較表を作成し、会報と比較表とを組合掲示板に掲示した。

(四) 被告は、右通告に対し、臨時大会の開催を認めない旨昭和五七年八月一九日に回答したが、新協力会執行部はその直後及び同月二〇日に理事会(緊急小委員会)を開催し、臨時大会の開催を強行することを確認し、臨時大会の開催の準備を行った。

(五) 臨時大会が予定されていた昭和五七年八月二一日午前七時ころには、多数の会員が被告会社構内や三階休憩室に集まり、賃金問題等を話題にして雑談をしながら同日午前八時の臨時大会の開催を待っていた。一方、新協力会執行部では解雇者がでるとの噂があったため断続的に善後策を協議していたが、結局、同執行部としての意思統一を得られないまま同日午前八時を迎えることとなったところ、最終決断を迫られた古山は臨時大会の中止を選択し、被告にその旨を告げたうえ、同大会に参加すべく集まっていた約一〇〇名の会員に対しその旨を報告した。

これに対し、会員から一斉に抗議と非難の声があがり、騒然となったため、結局、古山は会員の総意に基づき臨時大会の開催を決意し、同日午前八時二五分ころ臨時大会開会を宣言した。そして、臨時大会開会後は、奥山議長により議事進行がなされた。

(六) 原告は、古山の臨時大会の中止声明により騒然となった会場へ二階仮眠室より降りて行ったものであるが、同大会は一七一名の会員中一二二名の参加により、最終案を拒否すること、新協力会の名称を国産自動車交通株式会社新協力会労働組合と変更すること、原告の副会長辞任を認めないこと等を圧倒的多数で可決し、同日午前一一時三〇分ころ閉会した。そして、同大会終了後、新協力会は出番の会員に対し、直ちに業務に就くように指令した。

(七) 右に述べたとおり、新協力会は労働組合であり、昭和五七年八月一八日の団体交渉において、被告から数万円の賃金引下げの最終案を突きつけられたため右団体交渉は決裂し、新協力会執行部としては、会員全体の意見を聞く以外に方法がなかったため、やむなく臨時大会を開催することとなったものである。したがって、右臨時大会は正当な組合活動に基づくものであり、原告は右大会に新協力会の一員として参加したものである。

2  解雇権の濫用

(一) 原告は昭和五六年九月より新協力会の特別委員、昭和五七年二月から副会長の地位にあったが、被告は新協力会の活動を弱めようと謀り、原告の活動を忌み嫌って本件解雇に及んだものであり、これにより名実ともに労働組合として出発した新協力会に打撃を与え、同会副会長たる原告を排除しようとしたものであって、本件解雇は許されない。

(二) 1に述べたとおり、本件臨時大会は労働組合の運営上必要不可欠であるうえ、緊急の必要性があって開催されたものである。本件臨時大会は、被告の施設を利用して行われ、また、一部出番の会員も参加して開かれているが、かかる臨時大会の開催の方法は従来の労使慣行に沿ったものである。ところが、被告は、原告にかかる臨時大会の開催の責任があるとして、昭和五七年八月二一日のうちに原告を懲戒処分のうちでも最も重い懲戒解雇とする旨決定し、翌日にその通告をしている。

しかし、原告は、再度団体交渉を被告に申し入れるとの執行部内の多数意見が明番会で決定されている方針に反するとして、八月一〇日に副会長を辞任し、臨時大会開催時まで役員として取り扱われなかったため、右大会においても指導的な働きをしなかったのは勿論、大会の運営にも関与せず、単なる一組合員として議事進行に従って発言したものにすぎないのである。

したがって、本件解雇は原告の行為と処分との権衡の点からみて、著しく解雇権を濫用したものといわざるを得ず、本件解雇は無効である。

六  再抗弁に対する認否

1(一)  再抗弁1(一)の事実のうち、昭和三三年一二月ころ協力会が結成され、翌昭和三四年二月に新協力会と名称変更されたこと、新協力会の規約に原告主張の定めのあること、昭和五七年八月当時における新協力会の構成員は一七一名であり、同月二一日の臨時大会においてその名称を原告主張のとおり変更したことは認め、その余の事実は否認する。

新協力会は、乗務員の親睦、会社と協力して業績の向上及び労働環境の整備を図ることを目的とする団体で、発足当初から昭和五三年八月まで同会の銀行預金通帳、銀行印、会計元帳の記帳、領収書等の管理、保管等について被告の経理担当者に委託しており、かつその間争議行為を行ったこともなく完全な親睦団体であった。

(二) 同1(二)第一段の事実は認める。ただし、団体交渉ではなく新協力会の役員改選による新役員との初顔合せが昭和五七年二月二一日に行われたものである。

第二段の事実のうち、同年三月一九日以降給与問題につき新協力会と国産自動車労働組合との合同による合同交渉が行われたことは認め、その余の事実は否認する。

第三段の事実のうち、被告が同年五月二〇日に前記改定案を同年六月一六日から実施する旨通告したため合同交渉も行き詰りをみせるに至ったことは認め、その余の事実は否認する。

被告は新協力会に対し、賃金改定を求める理由、改定案の内容等につき機会を捉えては説明してきたが、新協力会は徒に白紙撤回を求めるのみで、殆ど対案らしい対案も提示しなかった。

(三) 同1(三)の事実のうち、被告が新協力会に対し、昭和五七年八月一八日に最終案を提示したこと、新協力会が被告に対し、同月一九日に書面で臨時大会開催を通告したことは認め、その余の事実は否認する。

(四) 同1(四)の事実のうち、被告が新協力会からの臨時大会開催の通告に対し、これを認めない旨同月一九日に回答したこと、新協力会の理事会(緊急小委員会)が開かれたことは認め、その余の事実は否認する。

(五) 同1(五)の事実のうち、昭和五七年八月二一日に臨時大会の中止が被告に告げられ、またこの旨が大会参集者に報告されたこと、その後臨時大会開会が宣言され大会が強行せられたことは認め、その余の事実は否認する。

(六) 同1(六)の事実のうち、臨時大会において最終案を拒否すること、新協力会の名称を変更すること、原告の副会長辞任を認めないこと等を決議し、臨時大会が同日午前一一時三〇分ころ終了したことは認め、その余の事実は否認する。

(七) 同1(七)は争う。

2(一)  同2(一)の事実中、原告がその主張の時期にその主張の地位にあった事実は認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 同2(二)は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二  抗弁事実中、被告の就業規則一四条、五三条、五六条に被告主張のごとき規定が設けられていること、被告が、原告に就業規則五三条に該当する行為があったとして昭和五七年八月二二日に原告に対し労働基準法二〇条に定める解雇予告手当を提供して原告を解雇したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

三  そこで、右解雇事由及び解雇に至る経緯について検討する。

新協力会が、昭和三三年一二月ころ被告の従業員をもって協力会の名称で結成され、昭和三四年二月に新協力会と名称変更されたこと、新協力会の規約に原告主張の定めのあること、昭和五七年八月当時における新協力会の構成員は一七一名であり、同月二一日の臨時大会においてその名称を原告主張のとおり変更したこと、被告が昭和五七年二月二一日に新協力会との団体交渉の席上において、乗務員の賃金体系を従来の歩合給からなるB型賃金から固定給及び歩合給からなるA型賃金へ変更すると共に、各月の賃金を「給料」と「賞与」とに分割し、「賞与」については四か月毎の支給とすることを骨子とする改定案を提示したこと、昭和五七年三月一九日以降給与問題につき被告と新協力会及び国産自動車労働組合(以下、後二者を併せ便宜「合同側」という。)による交渉が行われたこと、合同側が賃金体系につき前記改定案の白紙撤回及び現状維持を要求し、被告が同年五月二〇日に前記改定案を同年六月一六日から実施する旨通告したため合同交渉も行き詰りをみせるに至ったこと、被告が新協力会に対し、同年八月一八日に別紙賃金比較表記載の最終案を提示したこと、新協力会が被告に対し、同月一九日に書面で臨時大会開催を通告したこと、これに対し被告が、同日これを認めない旨回答し、八月の被告の明番講習会を同月二一日及び二二日に繰り上げて実施する旨告示し、その後に開かれる従業員らの明番会において最終案を検討するよう申し入れたこと、これに対し新協力会の理事会(緊急小委員会)が開かれ種々協議の結果、古山は臨時大会の中止を決定し、同月二一日午前八時過ぎころ被告本社構内に集合した会員らに古山が臨時大会を中止する旨報告したこと、その後臨時大会開会が宣言され大会が強行せられたこと、その大会において、原告の副会長辞任問題につき、その辞任を認めないこととし、新協力会の名称を変更して原告主張の名称を名乗ることを議決したこと、臨時大会が同日午前一一時三〇分ころ終了したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、右各事実に、《証拠省略》を総合すると、新協力会は昭和三三年一二月ころ被告の従業員をもって協力会の名称で結成され、昭和三四年二月に新協力会と名称変更されたこと、新協力会の規約に原告主張の定めがあること、原告が昭和五七年一月三一日に開催された新協力会の定期大会で同会の副会長に選任されたこと、同年二月二一日に開かれた新協力会の新役員と被告側との会合の席上において、被告から乗務員の賃金体系等の変更を伴う原告主張にかかる給与規定の改定案が提示されたが、新協力会は右の案につき反対の態度を示し、以後国産自動車労働組合と合同で交渉に当たることとしたこと、その後双方で賃金規定の改定につき幾度か交渉が重ねられたが、容易に意見の一致を見ないまま時日が経過したこと、これより先の同年三月一五日に被告は給与改定につき九〇日の予告期間をおいて改定案を実施することを通告していたが、同年八月一四日の交渉において、八月分の給与には改定案を適用するが八月二四日までに新賃金体系の合意ができた場合はその差額につき後日速やかに清算する旨の合意ができ、その後に合同側から賃金問題について具体案が提示されたが、改定案とは差が大きく物別れとなったこと、また同月一六日の合同交渉においても合同側は別紙賃金比較表記載の共闘案を提示したが合意に至らず、結局同月一八日の合同交渉において、被告の別紙賃金比較表記載の最終案が提示されるに至ったこと、右最終案におけるタクシー乗務員の収入金額は、昭和五六年九月のタクシー料金値上げ前の乗務員の収入金額に比べ、同一労働における営業収入に対する乗務員賃金の比率(以下「歩率」という。)は下がるが、実質収入額は上回ること、しかし、右最終案は、右タクシー料金値上げ後の営業収入に値上げ前の歩率を乗じて算出した収入額(以下「従前賃金」という。)より低くなること、これに対し、新協力会主張の同月一六日提案の共闘案は、月間一三勤務として、年功給及び交通費を除外して計算した場合に、月間営業収入が三六万円以上においては歩率、収入額とも従前賃金より上回るものであり、被告の最終案との間にはなお懸隔があったこと、そこで、新協力会理事会は、被告からの右最終案を受け入れるか否かについての賛否を会員に問う必要があると考え、そのための臨時大会を同月二一日午前八時から被告会社構内で開催することを決定し、同月一九日にその旨を文書で被告に対し通告し、新協力会掲示板にもその旨の文書を掲示したこと、しかし、被告は、新協力会は労働組合ではなく単なる親睦団体であり、しかも右臨時大会開催の真の意図は被告の提案を受け入れるか否かの検討にあるのではなく、検討の名の下にストライキを実施して被告側に圧力をかけるためであると判断したため、新協力会に対し八月二五日及び二六日に予定していた八月の明番講習会を同月二一日及び二二日に繰り上げて開催し、その後に開かれる新協力会の明番会において被告の最終案を会員に諮る機会を与える旨を通告するとともに、同月一九日及び二〇日の二度に亘って、臨時大会の開催を許可せず、もし大会の開催を強行する場合には被告において従業員の解雇を含む重大な決意をする旨警告したこと、これを受けて、新協力会理事会は、臨時大会を中止するか被告の許可のないまま強行開催するかの選択を迫られ、大会会場を被告会社外に探すなどしたものの確保することができず、結局同月二一日午前三時ころ古山は、原告を除く他の理事を招集して緊急理事会を開いたが、臨時大会を開催するか否かにつき結論が出ず、理事会は結局古山に一任するに至ったこと、古山は、午前六時三〇分ころ、臨時大会を強行して理事らに解雇者がでた場合のことを考え、会長として臨時大会をやるべきではないと判断し、午前七時前ころ中止を決断して他の理事に個別に伝える一方、午前八時ころ、古山と新井理事が久保営業所長に会って、臨時大会の中止とその事情を会員に説明するための時間を約五分ほど欲しい旨求め、被告がこれを了承したこと、他方原告は、被告との団体交渉を継続しようとする理事会の方針に反対し、既に同月一〇日に古山に副会長の辞任届を提出し、理事会において右辞任は承認されていたが、原告は翌日から一転して復権運動を始め、同日新協力会の掲示板に副会長辞任問題についての声明文を掲示し、右声明文において、役員を辞職する場合は、大会又はこれに準ずる機関において会員の承認を得ることが必要であり、後任者の決定があるまではその業務を執行する責任を有し、辞任が承認されたときであっても後任者が決定され事務引継ぎが完了するまではその責任があるとの規約上の定めからみても、未だ副会長としての地位に留っているとの見解を表明していたこと、原告は、同月二一日午前七時一〇分ころ出社し、午前七時二〇分すぎころ本館二階の仮眠室において平林書記長から原告の辞任問題や八月一〇日以降の経過、臨時大会を開かざるを得ない状況等について詳細に話を聞き、意見交換をしていたところへ、午前八時前ころに三浦理事が来て、右古山の中止決定を伝えたが、原告は臨時大会を自己の復権の機会と捉えていたため右大会を開催しようと考え、臨時大会の開催を待って三々五々集まっていた会員らに、臨時大会を絶対開催すべきであると説得して回り、原告を支援するグループに強く働きかけたこと、午前八時二〇分ころ、古山が被告会社の構内に集まった約一〇〇名の会員に対し、この臨時大会は中止し、会社の明番講習会の後の明番会において賃金問題を検討したい旨を伝えたところ、原告らの意を受け又は考えを同じくする会員の高橋勝美、藤ノ木喜一郎、五十嵐勝治、本橋謹吾らから「なぜ止めるんだ」、「臨時大会を開け」などと言う声が上がり、会場は騒然となり、多数の会員が臨時大会の開催を要求するようになったこと、古山はさらに大会の延期を説得していたが開会を求める声が強かったため、各理事に意見を聞いたうえ臨時大会開催もやむなしと決意し、午前八時二五分ころ参加人数一一四名を確認したうえ大会開催を宣言し、同日午前八時五〇分ころ、臨時大会は被告の許可のないまま奥山議長によって進められたこと、大会においては原告の辞任問題と給与問題とが取り上げられ、主として古山と原告とが発言し、原告の副会長復帰については一時議論の応酬となったが、三浦の仲介により原告が副会長に復帰することになり、その後は主として原告の主導の下に大会が進行し、給与問題については従来通りの意見が強かったため、大会を一時中断して久保に新協力会提案にかかる主張の共闘案を受け入れるよう要求したが、久保により拒否されたため、大会を再開して参加者全員で、法廷闘争を行うための会員代表者としての古山の選出と新協力会案の絶対支持を決議し、また、親睦団体としての限界を認識して企業内組合の設立及び新協力会の名称を変更して労働組合と名乗ることを決議し、かつ投票によりスト権を確立し、午前一一時三〇分ころ終了したこと、この間被告は再三にわたって文書及び口頭で違法なストライキであるから中止するよう求めたが一切無視されたこと、また、本件臨時大会当日の会員の出番予定者は七二名であり、前もって有給休暇の届出のあった者三名、欠勤届のあった者三名の計六名を除く六六名が臨時大会に参加したが、そのうち大会終了後就労した者は四四名、大会開催中及び終了後に有給休暇の届出をして就労しなかった者は三名、大会終了後も就労せず欠勤した者は一九名であったこと、そして、当日通常に営業を行った者一八名の総営業収入は金七六万二六五〇円で一名当たりの営業収入は金四万二三六九円となるところ、大会参加者四四名の総営業収入は金一一四万四八五〇円で、一名当たり金二万六〇一九円にしかならず、これを基準にした当日の営業収入の損害は、右四四名の減収分及び二二名の休車分を合計すると一六〇数万円にもなること、また、月一回乗務員の教育等を目的として開かれる会社主催の明番講習会は、タクシー営業が認可事業であるところから、会社にその実施が義務づけられ、出席人員、実施日は勿論のこと、その講習内容まで記録することが義務づけられ、その違反については監督官庁の監査時に重大指摘事項とされ、車両使用停止等の行政処分対象の一つとなっていたが、原告らはこれらを知悉しながら本件臨時大会の開催に踏み切り、右明番講習会の開催を不可能としたこと、以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

以上認定の各事実によれば、原告は、古山が臨時大会開催の中止を決断したことを知るや、被告の許可を得ないまま右大会を開催せしめようと企て、原告を支援するグループに大会開催に向けて強く働きかけ、会社構内に集まっていた会員らに臨時大会を成功させるべく煽動し、古山が集まった会員に対し、一旦臨時大会を中止する旨伝えたにもかかわらず、臨時大会を開催させ、指導したものであり、本件臨時大会は、主として原告の意図とその指導により開催され、挙行されたことが明らかであって、本件臨時大会及び同大会開催に至る原告の行動ないし役割は、就業規則一四条及び誓約事項に違反し、同規則五三条一号、二号、四号及び一二号の懲戒事由に該当するものということができる。

四1  原告は、本件解雇は新協力会の活動家である原告の活動を忌み嫌ってなされたものであり不当なものである旨主張するので、以下検討する。

新協力会には、会の目的を強固なる団結を基調とする団体交渉権の確保、会員の社会的、経済的地位の向上等と定める原告主張の規約の存することは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、新協力会は発足以来、その規約において、団体としての組織、機構を定め、賃金、労働時間、有給休暇、定年制度等の労働条件に関し一定の要求を掲げて被告と団体交渉を行い協定を締結するなどの活動を行ってきたことが認められ、また、新協力会が本件賃金改定問題につき独自で又は他の労働組合である国産自動車労働組合と合同で被告と交渉を重ねていたこと、原告が新協力会の副会長又は会員として活動してきたことは前記のとおりであり、さらに、《証拠省略》によれば、本件給与規定の改定交渉の過程で被告が原告を交渉員から外すよう求めていたことが認められないわけではない。しかしながら、《証拠省略》によれば、被告が新協力会に対し右の要求をなしたのは、ともすれば原告が感情に走り暴言を吐くばかりか他の意見を受けつけないなどの行動に出るようなことが多かったため、交渉を円滑に進める必要からなされたものに過ぎないのであって、被告が原告を交渉の場から外すよう求めたことをもって、被告が原告の活動を忌み嫌っていたということはできないし、また、本件解雇は後記2の事情の下でなされたものであり、被告が新協力会の活動を弱めようと謀り、昭和五七年八月二一日以降原告らが中心となり、名実共に労働組合として出発した新協力会に打撃を与え同会の副執行委員長たる原告を排除しようとして本件解雇をなしたものであると認めるに足る的確な証拠はない。したがって、この点に関する原告の主張は理由がない。

2  また、原告は、本件解雇は原告の行為と処分との権衡の点からみて、著しく解雇権を濫用したものであり無効である旨主張するので検討する。

前記認定のとおり、原告は昭和五七年八月一〇日に新協力会の理事会の他の役員と意見の対立を生じたために同理事会に副会長の辞任届を提出し、同理事会もこれを承認し、以後本件臨時大会開催の当日まで新協力会の理事会に出席したことはなく、新協力会の運営方針にも全く関与しておらず、本件臨時大会を開催するか否かの理事会の協議にも参加していないことは明らかである。しかしながら、他方原告は、前記のとおり一旦副会長の辞任届を提出したものの翌日から直ちに復権運動を始め、自己が未だ副会長の地位にあるとの見解を表明して臨時大会の開催を求め、本件臨時大会を自己の復権の機会と捉えていたが、大会当日の午前八時前ころ、古山が同大会の中止を決断したことを知るや、被告の許可を得ないまま右大会を開催せしめようと企て、原告を支援するグループに大会開催に向けて強く働きかけ、会社構内に集まっていた会員らに臨時大会を成功させるべく煽動し、古山が集まった約一〇〇名の会員に対し、一旦臨時大会を中止する旨伝えたにもかかわらず、前記の経緯で臨時大会を開催させ、名実共に副会長として復権した上、右臨時大会を指導したものであること前記認定のとおりであるから、本件臨時大会は、原告一人の力によるものではないにしろ、主として原告の意図とその指導により開催に至り、約三時間に亘り継続されたものといわなければならないから、右大会開催の責任の大半は原告に帰するものというべきである。

そして、右大会の開催により被告にほぼその主張の損害を与えかつ明番講習会の開催を不能ならしめたこと前記のとおりであり、被告はこれを理由として本件解雇に及んだものであって、右臨時大会開催に至る経緯、右大会における原告の役割、右大会開催により被告に生じた損害等諸般の事情を勘案すると、本件解雇を権利の濫用ということはできない。

なお、原告は、新協力会が被告の許可を要せず被告の施設を利用し、就業時間内に臨時大会を開催することを認める労使慣行が存在する旨主張するが、右主張を認めるに足る的確な証拠はない。原告は右主張の根拠として、《証拠省略》には昭和五五年六月に開催された臨時大会において開催場所の許可があったとの記載がないことを挙げるが、《証拠省略》によると、右大会の開催場所を被告の施設とすることにつき被告の許可があったことが認められ、これに反する原告本人尋問の結果は信用できない。また、仮に被告の右許可がなかったとしても、これだけでは原告の主張する労使慣行が存在するとは到底いえない。

3  したがって、原告の再抗弁はいずれも理由がなく、本件解雇は有効なものといわなければならない。

五  そこで、原告の賃金請求について検討するに、先ず、原告の労務提供の対価たる昭和五七年八月分(同年七月一六日から八月一五日まで)の未払賃金請求については、原告主張のこの間の賃金が従前賃金に基づいて算出された賃金であることは当事者間に争いがなく、右請求は右賃金と現に改定案に基づいて算出され支払われた賃金との差額を請求するものであるが、前記のとおり、被告と合同側との間においては、同月一四日の交渉で、八月分の給与については改定案を適用するが八月二四日までに新賃金体系の合意ができた場合はその差額については後日速やかに清算する旨の合意ができており、弁論の全趣旨によれば、被告は右合意に基づき改定案に則って同月分の原告の賃金を支払ったことが明らかであるから右請求は理由がない。また、同年九月分以降の賃金請求のうち、同年八月一六日から本件解雇の日である同月二二日までの賃金請求については、原告が数日間は就労したと推測されなくはないが、現実に労務を提供したとの具体的な主張及び立証がないからこれを認めるに由なく、同月二三日以降の賃金請求については、右に判断したとおり本件解雇は有効なものであり、同日以降原告と被告との間に雇用契約関係は存在しないから、その余の点につき検討するまでもなく理由がない。

六  よって、原告の本訴請求はすべて理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福井厚士 裁判官 酒井正史 裁判官川添利賢は転勤のため署名押印することができない。裁判長裁判官 福井厚士)

〈以下省略〉

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